2011年04月28日

広告制作演習の授業がはじまりました

震災の影響で、2週間遅れでスタートした共立の授業が今週からスタート。
今日は、広告制作演習のガイダンスでした。
毎年履修希望者が多く、今年も同じ授業を3クラス開設し、今日はその3クラス目の授業。
広告に対する若者の関心が高いことを感じます。

「広告って何?」
ガイダンスでは、そんなところから話しをしていきます。
毎年、この第一回目の授業で話しをするのは、私が大学3年生を終えた春に、多摩美のヨーロッパ美術研修ツアーで体験した教会建築の話しです。
大学生の私は、イタリアの大きな大聖堂に足を踏み入れ、その荘厳な空間に鳥肌の立つような感覚を覚えました。
高い天井からのステンドグラスの光、空間に鳴り響くパイプオルガンの音、暗闇にゆらめく無数のろうそく、空間全体から漂う肌寒い神聖な空気、、、
目、耳、肌、体全体で大聖堂の空間を体験し、私の目からは涙がこぼれてきました。
中高はミッションスクールだったけれど、聖書の授業も適当に聞き流していた私なのに、そこでは、神を感じ、神を仰ぐ気持ちとともに、これまでの自分の行動に対する懺悔の気持ち、多くの人への感謝の気持ち、そんな感情が私の中に溢れてきたのでした。
これって何なのだろう?

もともとの教会の役割とは、中世の多くの人々が文字の読めない時代に、「文字の読めない人にも神の存在を伝えようとした」ものなのです。
キリスト教の教えは、厚い聖書を1冊読めば理解できるものです。
けれど、聖書を読めなくても、視覚、聴覚、触覚を使い大聖堂の空間を体験することで、神を感じさせ、それが布教活動につながっていたのです。

それは、これから制作しようとしている広告の理念と、同じものがあります。それは
「メッセージを広く人々に伝えること」

そのメッセージとは、長い1冊の本を読ませて伝えるのではありません。
ビジュアルと、ある時は音、簡潔なキャッチコピーを使って、広告主である企業が伝えようとしているコンセプト・メッセージを、制作者である私たちが翻訳して、ターゲットユである消費者の「心」に伝えるのです。
その役割は、教会建築にみた布教活動と同じなのです。

さらに見えて来るのは、「商業デザインは、アートとは異質なものであること」です。
アートは、作者であるアーティストの自己表現です。
商業デザインは、クライアントがいて、クライアントのメッセージや狙いを形にし、消費者に届けるのが私たちの仕事なのです。
クライアントの戦略を実現するための、最も適切な形を生み出していくのです。

そんな前提から、1年間の学生の広告制作がはじまります。
毎年、こちらの想像を超えるような作品がでてきます。
今年の学生の作品も楽しみです。


posted by Sachiyo Inami at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | デザインの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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