2009年07月15日

ココロ*アート 第3回ミーティング

090715ココロアート1.jpg心理学を専門とするチームと、アーティストのチームの対話により、何か面白い作品が生み出されるのではないか、といって企画された心理学×アートの第3回ミーティング。

1回目のミーティング
は、心理学を専門とする2名の大学の先生と、アーティストのわかおさんと私の4人からのスタートでしたが、心理学チームはそれぞれの研究室の学生さんを引き連れ、私はスタジオネオのスタッフも呼び込み、スタジオネオで行われた2回目のミーティングでは10数名のメンバーがそろいました。
そして第3回目である今回は、その先生の教える東京都市大学(旧武蔵野工業大学)の研究室に集結。2つのゼミそれぞれからアートの題材となるテーマを提案してくれる回でした。
それを受けて、第4回目はアーティスト側から、もらったテーマをアートに展開するという流れになっています。

今回のミーティングでは、(毎回ミーティング冒頭に議論されるテーマではあるのですが)「芸術とはなにか?」といったディスカッションがなされ、その後、心理学チームからの興味深い発表がありました。まず「芸術って何?」という事に対して、横浜国大の心理学チームの学生さんがとてもよく勉強してきていて、現代美術を語る上での重要な答えが見えてくるものでした。
その大学3年生の学生さんが見つけて来た思想は、ロラン・バルトの「作者の死」という概念でした。

ロラン・バルトは、私も美大生時代に自らの世界観を深める事が表現の幅を広げるものと、近代思想の中にそれらを見いだそうとして、構造主義やポストモダニズムについてかかれた現代思想の書籍などで関心を持って読んでいた思想家でした。(とは言えアートから離れ、日々の生活の中や商業デザインの仕事の中では、こういった思想や、ロラン・バルトという名前さえ記憶の片隅に消えそうになっている状態でしたが、この場で再び名前が出て衝撃を感じる感覚がありました。)

そのロラン・バルトのいう「作者の死」とは、近代以降において「作者」というのは絶対的であり、読者(鑑賞者)や評論家は、作者が何を意図しているのか「解読」するという行為を行って来たが、ロラン・バルトの概念では、作者は作品を世に出した瞬間から作者を離れ、「どうぞお好きに解釈して下さい」と作品は読者(鑑賞者)の手に渡されるといった持論を展開しています。(この「テクスト」の概念が、インターネット時代の本質とも重なり合うと思うのですが、論点がずれるので、次の機会に)
この概念を現代アートに重ねて見た時に、その現代アートの価値は鑑賞者が作り上げるものであるという事を気付かせてくれる内容でした。

このバルトの思想は、「作者」という存在が認知されることとなった近代以降を背景に「作者からの分離」という理論展開していますが、個人的に関心をもったのは、作者の権力の有無という問題とは別の観点で、作品からの「メッセージの解釈方法」という点では、現代の広告や中世キリスト教の宗教芸術は、唯一のメッセージ性を鑑賞者に送り込み、その通りに解釈してもらえたら(意図された心情に鑑賞者がコントロールされたら)それは成功であるという点で、同じであり、この現代広告と宗教芸術という一見相対するかのように見える2つが、現代アートの前では、同じ位置にいるというのが興味深い発見でした。
と同時に、私自身が現代アートではなく、デザインを選んで仕事をしている理由も理解できた気がしました。

さて「作者の死」の議論から、では何億円もする芸術品の価値は?といった話しにも及び、また社会的な価値は「批評家が作り上げる」というアート業界の動きも見えてくる議論でした。

そこから、横浜国大と東京都市大学チームそれぞれの提案がそれぞれに面白い時間となりました。
東京都市大学チームでは、腐女子の生体をクローズアップして、腐女子の見せかけの生体と、本質の生体を「擬態」としたテーマで展開、提案してくれました。
さすがにメディア研究を専門としている先生のゼミだけあって、プレゼンテーションのムービーもそれ自体でアート作品が完成してしまったような提案でした。個人的には、腐女子というテーマは、あまりにも私の理解を超える世界で、解釈が難しく感じていましたが、彼らのメディア展開の発想が面白く、そこにはアーティスト側の表現に踏み込むほどのものでした。

一方の横浜国立大学チームは、前述のアートとは?といった芸術の基礎知識を押さえた上で、彼らの専門性と知性を生かした投げかけをアーティスト側に提示してくれました。
「知識とは何か?」「知恵とは何か?』を教える「Psychological Art」の提唱でした。
マッチ棒ゲーム(二人対戦で、マッチ棒9本をそれぞれ交互に1本か2本を互いに引き、最後の1本を取ったひとが負け)を、機械に学習させる習得工程を、マッチ箱の中に入った2色のビーズを使い再現していくものなのですが(長くなるので詳細は省きます、、)、これを用いて
1、知性の構築的理解
2、知性の機械的還元主義の限界の理解
を表現するというもの。
学生が扮するロボット(アトムくんだったかな?)がゲームを行い、実際にマッチ箱が習得して行く過程を見せてくれました。もう、それは驚きで、美術系思考をもった私には持ち得ない発想で、なおかつ、美大時代からアートの題材としてサイエンスや、理数系の人達によって見いだされた法則や現象などをアートに展開したいと感じていたので、これはまさに私がかつて求めていた題材だ!ととても嬉しく思い見ていました。
090715ココロアート2.jpg


7時過ぎから始まったミーティングも、あっと言う間に10時半をまわり、大学のクーラーも切られ、、、、
今日もらった題材をアーティストが持ち帰ることになりました。
次回ミーティングは11月。
好奇心は駆り立てられたものの、これをアートとして展開するのは、そう簡単ではなさそうですが、、、、頑張って深めていきたいと思います。

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